頑張る私のブログ

ツイッターが好き、男っぽいと言われる、テレビ大好き、年の離れた兄が2人いる、英語が得意

良い年齢の重ね方をしたい

人生仮に80年だとすると、まだそのうちの38年、約半分。もう半分。まだ半分。どっちにも思うことができる。若い頃は、その先が全く見えないから、それゆえわくわくもするし、ある意味無謀にもなれる。現実、非現実どちらも含めて色々な夢も見る。今考えるとそういう意味での生きている充実感はあったと思う。自分は、若いころ抑圧されたりいやな想いを沢山した。

もちろん主観なのだけれど、少なくとも主観でそう思って消化不良なことが多かった。

そして最近その消化不良をとりかえそうと思うがあまり、気持ちだけ空回りするうような感覚がよくある。そしてふと自分自身の年齢に気づいて孤独な感覚になったり。

確かに年齢を重ねると、若かった頃が輝いて見えて、戻りたいような感覚というか、単純に人生を時系列で客観的に見た時にその頃が愛しく見える。その感覚自体は別に不自然なものではいはず。生物的に時間を重ねた結果として自然。

ただ今この閉鎖的な時代がその想いに変に重なり、少しばかり感情がねじれていることも確かかも。まあどうあれ、年齢を重ねることは自分の意思ではない。自然の摂理。全てに平等。そのこと自体を悲しく思うことは、言ってみれば神への冒涜なのだろう。

若い子が自分を大きく見せようと背伸びしている姿はある意味かわいくも見えるが、年齢を重ねた者がそれを否定しようととにかく若作りして周りが見えなくなっている姿ほど見苦しい姿はない。まさに空っぽの人間に見える。自分自身もそういう意味では勘違いしないように意識しておかなければ。今の自分の努力もある意味いい年齢の重ねかたを自分なりに考えた結果のはず。